| Jから届けられたアルバム 『PYROMANIA』。そこからあふれ出てくる楽曲は、現在の日本でデフォルメされつつあるロックに喝を入れ、ロックという音楽が持つ本当の威力を教えてくれる。J(B&Vo)を中心に藤田高志(G、元ドゥーム)、スコット・ギャレット(Ds、元ザ・カルト)が参加。ゲストプレイヤーとしてビリー・ダフィー(G、元ザ・カルト)、スラッシュ(G、ガンズ・アンド・ローゼズ)、真矢(Ds、ルナシー)を迎えているが、この作品からはそうしたそうそうたるメンツが集結したことよりも、ただ彼らとJが楽しんで作った真摯(しんし)な音楽の結晶であることだけが伝わってくる。 なぜ、このような作品を彼は生み出したのか。生み出すことができたのか。自分達だけの表現を追い求めてきたルナシーというバンドを休止させてまで始まった、このソロプロジェクトに込められたJのピュアな思いは、無類のサウンドと共に私達の音楽に対する既成概念をブチ壊してくれるはずだ。 |
自分の人生を変えたロックを自分なりに突き詰めようと思った ●今日はソロアーティストJについて話を聞くのですが、まずはあのルナシーというバンドの活動を休止してまで始まったソロ活動に対するJさんの思いから教えてもらいたいんです。 J:ひと言で言えと言われても言えないです。…そうですね、分かりやすく説明すると、8年間俺達はルナシーでいろんな活動をしてきたんですけど、1年前の96年、次のビジョンが見えていて、そこに行くにはどうしたらいいのかってずっともがいていたと思うんです。たぶん他のメンバーも同じように…。活字になってどこまで伝わるか分からないけど、ルナシーってバンドは一つひとつ何をするにもすごい慎重になって話し合って、一つひとつのディテールをすごい大切にして活動してきたわけですよ。正直言って今の音楽シーンで長いものに巻かれちゃうのはすごいラクなんです。でもそれだけではイヤじゃないですか。だから「俺達なりの俺達にしかできない表現方法って何だろう、活動って何だろう」って考えながらやってきたわけなんですけど、それはすごい時間もかかるし体力も使うしパワーも使う。で、次のビジョンが見えたときに、その96年の速度で行ってたら、絶対次のところに行き着けないんじゃないかと思ったんですよ。 ●それはどうしてですか。 J:だれもやったことのないコンサートって何だろう、だれもやったことのない音楽って何だろう、何物にも属さない場所はどこだろうって考えたときに、時間がかかるのは当然のことで。なおかつ、今のニーズに合ってるものとかも俺達は分かってるはずなんですよ。だけど、このままでは自分達の思う次のビジョンに行き着くことはできないだろうって思った。そりゃ、簡単にやっちゃえば簡単ですよ。俺は否定も肯定もしないけど、例えばタイアップ取って別にロックのロの字も知らない企業とガップリ4つに組んで、(売り上げ)枚数を倍にするんですから。…どこにも属さないで我が道を行くってことがどれだけ大変なことかっていうのは、たぶんここで言えば言うほど、のら犬が吠えてるみたいな感じに取られると思うからあんまり言いたくないんだけど、どんな状況になってもバンドがストレートにやって次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメなんじゃないかなってみんなで考えたんですよね。だから全然ネガティブな意味じゃない。…その話し合いがあったのが、去年の夏以降の全国ツアーが始まるころだった。 ●そして昨年の12月23日の野外ライブ以降、それぞれの活動が始まるわけですが、Jさん自身はまず何をやってやろうと思ったんですか。 J:最初「今年はみんなの自主トレーニングの期間にあてよう」ってなって、そのときは「俺の自主トレって何だろう?」ってずっと悩んでましたね。8年間ルナシーで走ってきたから、体力を付けるために寝るとか、音楽と全然違う場所に自分を置いて新しい感性を磨くとか、いろんな選択肢があるじゃないですか。その中で俺にとっての自主トレーニングってなんだろうなっていう。さっきの話に戻るけど、12月23日で1回ストップするってことが決まったときに、メンバーにはすごい決意が必要だったんですよ。バカなバンドじゃないから、ルナシーというバンドがそこでストップしたときに起こるメリットも分かるし、デメリットも分かる。普通だったら怖くてこんなことだれもできないと思うし、その当時も周りに言われましたよ。「何で? 我慢してやりゃあいいじゃん」「そのまま行けばいいじゃん」って。でも「ふざけんな! オマエらと一緒にしないでくれ」と。俺らはそのために音楽をやってるんじゃなくて、俺達の夢を追っかけてんだと思った。別に冷たい意味じゃないですよ。ここで1万枚売れようが1万枚売れなくなろうが、10万枚売れなくなろうがそんなことは別に構わない。そんなところから始まってないし、そんなところに一緒に属させないでくれと思ったんですよ。でもそういう他者との関係が絶対に出てくるから、そこで起きることもそのデメリットが大きいことも分かります。ただ今年それを選んだからには、何が何でも絶対にプラスにしたいと俺個人では思った。12月23日の時点のままで俺が止まってて、次にルナシーが始まったときに前と変わっていなかったら、それこそ「何だったの?」ってなるでしょ。そう考えたときにさっき言ったような「自主トレーニングとは何だろう。自分が自分に課すものとは何だろう」とずっと考えて、俺はこの時期だからこそ自分の人生を変えてしまった音楽っていうかロックってものをもう1回自分なりに突き詰めていいんじゃないかなって、すごい思ったんですよね。でも、それをクリアしたらもう1つ問題が出てきた。それはソロという響き。 ●ソロ? J:なぜかみんな強迫観念のように「ソロ活動、ソロ活動」って言って…。「あれ? 俺別のことやんなきゃいけねえのかな」って感じになったんですよ。「あれ? 俺ルナシーのJでしょ? 家帰ってもルナシーのJだし。1人だけど何が違うの?」って。俺は今まで、自分の好きなことを好きなだけわがまま放題ルナシーでやってきて、不満もないし自信もつけさせてもらった。俺はルナシーのベースのJだし、1人になってもルナシーのベースのJなわけで、だったらそのすっげえ看板、俺にとっては誇りでもある看板を、もっと高らかに掲げて、やりたいことやっていけばいいんじゃないかなとすごい思った。そこからでしたね。 ●そこまで行き着くのは、かなり長かった? J:そうですね。筋の通らないことはイヤだし、無駄に過ごそうと思ったら無駄にも過ごせたし、この1年間をただ埋めていく作業はいくらでもできたと思うんですよ。でも俺はそんなのイヤだったから「どうしてなんだろう、何なんだろう」っていう自問自答の繰り返しを1カ月半か2カ月ぐらいしてました。 10人中9人は「無理だ」って 「何で?」って俺は聞きたい ●やりたいことを今まで通りにやろうと決めてからは早かったんですか。 J:早かったですね。今まで通り好きなことを好きなだけ思う存分にやる、だれに何と言われようと俺は動くと。それが俺にとって自主トレーニングになるし、俺の人生を変えたもの、その場所はどこか分かんないけれども、「その場所に飛び込んでいきたい」と思ってからは、すごい早かった。俺は正直言ってバンドをやりたかった人間だから、絶対1人でやるときもバンドにしようと思ったし、そうなったときにプレイヤー的な視点で、自分をどこに置いたらいいのかなと思って、最初にイメージがピンって来たのが3ピースのバンドだった。ベーシストとしてそういう場所に立ってみたいっていうか、ドラムとギターとベースしかいない一番シンプルな形。一番シンプルなことが一番難しいんじゃないかなって日々思ってたから、その場所に立って勉強したいっていうか。で、3ピースっていうイメージで自分の楽曲もガーって広がっていって。 ●でも、Jさんのイメージとして3ピースってありましたよ(笑)。 J:そうですか(笑)。あともう1つは初期衝動を大切にしたかったっていう。去年起こってたことにまた話が戻っちゃうんですけど、やっぱり俺は8年間ルナシーをやってきました。ライブハウスから始まって、東京ドームとか横浜スタジアムをやれるようなバンドになって、正直言ってボトムラインからトップまで、まだまだトップじゃないと思ってるけど、いわゆるそういうところまで見てきました。それはファンの子に見せてもらったものだし、他のメンバーに見せてもらったもので、すごい経験も積みました。それを俺のことに置き換えてみると、ふとその経験が俺個人の足かせになってるんじゃないかなって思ったんですよ。なぜかと言えば、これはこんなもんだろう、この曲はこういうふうになっちゃうんだよね、こういう曲はこんなふうにしようと自然に…ただ、それは絶対プラスのことなんですよ。やってこないと分からないことだし。でも、この曲はこうした方がいいんじゃないかってすぐ頭の中で分かっちゃうって、逆に考えたらとんでもない恐怖なんですよ。ルナシーのときはそれがやれて当然だったし、やらなければいけない状況を自分達で作り出してきたし、そこから上の発想をしてたから、いつのまにかそういう…例えば昔楽器を持ったときの「あ、この曲弾けちゃった」とか、バンドで一緒にやって弾けたときの喜びとか、そういうのを自然にだれのせいでもないんだけど、失ってたんじゃないかなってすごい思ったんだよね。だったらもう1回ドキドキした感じを自分で探して、自分で作り出していこうっていうか。やればやるほどそういう高みには登って行くんだけど、高みに登った過程でいろんなものが消えていってしまう。だからこそ今のこの場所でそれに気付いたっていうのは、何か意味があるんじゃないかって。今考えてみるとだけどね。ルナシーって神がかってるバンドだなって、タイミングにしても何にしても、本当にそんな気はする。 ●私はこの『PYROMANIA』を聴いて、最近ロックがきれいで洗練されている聴きやすい音楽みたいな印象で広まってますけど、最初にカッコいいって思ったロックっていろんな意味で「何これ?」って思うようなものだったなってことをすごく思い出したんですよ。これを初期衝動って言うんだろうなって思ってたんですけど、Jさんの中にもそういうのがあったんですね。 J:うまく言えないんだけど、俺の中での「ロックってこういうもんじゃなかったっけ?」っていうことを、ルナシーではうまくやってきたような気はするのね。北風と太陽じゃないけど、いわゆる芸能な場所に寄っていって、ロックにあまり触れることのない人種の場へ顔を出し、そして自分達のライブに足を運ばせてそこでガッチリつかむっていうかさ。それができて当然だと思ったし、自信もあったし、できなければウソになると思ってた。でも、いつのまにかそういう表面的な部分しかクローズアップされなくなって、そういうのをマネして後から付いてくる。いつのまにかそういうのが普通になって、いつのまにかそういうのがロックって言われてて、いつのまにか違ったものになってしまってるっていうのもあったしね。 あとね、今回いろんなミュージシャンとプレイしたわけなんだけど、俺には基本的に自分の中で邦楽と洋楽の壁はないんですよ。音楽が好きだとか音楽がやりたいんだとか、その気持ちって海を越えたぐらいで変わらないだろうって思ってて。ましてやプロとアマチュアっていう響きも俺は好きじゃないの。「置かれた状況が違う。何言ってんだ!?」って思われるかもしれないけど、今でもベースに向かってるときは、ソフトケースにベース入れてスタジオに行ってた少年と俺は何も変わっていないと思う。それを今回は実践したかったの。昔から、俺がバンド始めたときから洋楽と邦楽の壁っていうものがあって、いつまでたったって洋楽が素晴らしいもので、いつまでたったって邦楽がまた別のものでっていうのもぶっ壊したかったし、さっききれいで洗練されたものがロックって言われてるって言ってたけど、それは俺も感じてたから。でも、そういうことを「そうじゃないんだよ」って口で言うのは簡単だと思ったんだよ。だから俺はそれをやってみたいなって思った。今回はその1つの形っていうかな。 ●洋楽と邦楽に壁はないと思いたいんですが、実際にそういう作品が出てこないから、「やっぱり日本人だから無理なんだ」って思ってしまうんですよね。でも確かに『PYRO-MANIA』はそういうことを関係ないと思わせてくれる作品だと思います。例えば今って情報社会なんで、だれがJのプロジェクトに参加してるかってことが音よりも先に入ってきて、情報レベルでの話題作になってしまいがちなんですけど、『PYROMANIA』は元カルトのスコット・ギャレットが参加してるとかそういう情報を持って聴いたとしても、それがいい意味で無意味になるというか、そんなことは別に関係ないって思えるパワーやカッコ良さを持ってる。それは実際にそういった話題を集めるメンバーと一緒にこの作品を作り上げた、Jさん自身が一番感じたことだと思うんですよ。 J:今回、世界的なカメラマンのアントン・コービンとかフィリップ・ディクソンとか、世界を相手にしてきたドラマーであるスコット・ギャレットが、俺の曲とか俺の存在にどう思うんだろうって、自分を試したのもあるんだよね。 ●今回のこのメンツって自分でFAXを送ってアプローチされたそうですね。 J:そう。スタッフは10人中9人は「無理だよ」って言ってたんだけど、「何で無理だと思うの?」って。俺は聞きたいの。「そんなに負い目を感じて音楽をやっているのか?」「そんなに日本の音楽って特殊だと思いながらみんなに伝えてるのか?」って。「そんなヤツはやめちゃえよ!」って思う。音楽ってどこにでもあるもので、日本の音楽は日本で素晴らしいはずじゃないですか。外国の音楽も外国で素晴らしいはずじゃないですか。でもその素晴らしいものと素晴らしいものがお互い融合できたら、もっと素晴らしいものになるじゃない? それをずっと考えてて…。いいんだよ別に、こうだからすごいとか、そういうものを作りたいとは思ってるわけじゃないから。だから自分でFAX送ったの。「ヘイ、アントン。日本のJって言うんだけど、今回写真撮ってくれないかな」って。もし彼が俺の音を聴いたり、写真を見たりして興味がなければ、撮ってもらえないんだろうなって思ってたし、まだ俺はその場所に立ててないってことでもっと頑張れるだろうと思えたしね。そしたらFAXが返ってきて、おもしろいからやろうよって(笑)。 ●今の日本の中では「すごいことをやってるな」と思われるんでしょうけど、本当はそれがものを一緒に作るということなんですよね。 J:そう。だから今回俺が思ったのは、すごい危険なことが今日本で起こってて、俺ら発する人間もが、メディアとかシステムにすごい洗脳されているなと思ったんですよ。発する気持ちってすごいピュアじゃないですか。聴いてもらいたいって気持ち、それはどこの天秤にもかかんないものなんですよ。これこれこうだからいいとか、こうだから悪いとか、売れたからいいとか、売れないから悪いとか、そういうレベルじゃなくて、みんなが本当に自分の気持ちから作ったものであれば、そんなのは全然関係ない。そこも俺、実証したかったのね。 ●でも忘れがちですよね、そういうところ。 J:俺は正直言って忘れてもらいたくないし、ミュージシャンとファンの子の間をつないでいる人間達に、そういう人間が多すぎるっていうことでは、日本は負けていると思う。レコード会社の人間がまず「無理だ!」って何で言うんだ? メディアの人間が何で「すげえっ!」って言うんだ? でも、それは今までなかったからだけだろう? 今までにやろうと思ったヤツがいないだけだろう? 俺はそんなこと「ふざけんな!」って言える立場でいたいっていうか。正直な話、この島国の日本でさ、何百万枚も売ってるアーティストがいて、それはすごい素晴らしいことだと思うよ。すごいすごい素晴らしいことでさ、でも向こう(海外)に行ったらCD屋さんに置いてないんだよ。どういうことなの? 車だって電化製品だって洋服だって何だって置いてある、置いてないのはCDだけじゃねえかよ。それを不思議と思わないの?っていう。だから今回俺が実感したのは、問題はやってる側だけの問題じゃない。昔から言われている洋楽と邦楽の壁っていうのは、レコード会社の人間とかメディアの人間が作ったマーケットの壁なんだろうなって。それはマーケットは違うよ。人口も違うし文化も違うんだもん。 ●というより、その前の気持ちが負けてる。 J:うん、負けてると思った。FUCKだよ。そんな奴らが日本の音楽をどうのこうの言ってやがる。ふざけんなって。そう今回のレコーディングを通して思った。向こうに突っ込んでいってさ、正直言ってあったよ。スラッシュが、俺の曲を弾きたいと思ってくれるのだろうかとか、俺があこがれている元カルトのスコットが俺の曲を聴いてどう思うんだろうとかね。でも今まで日本のシステムとしてあった、お金積んで海外の豪華ゲストミュージシャンが多数参加というのは、俺は本当にイヤだったのね。だから自分でFAXも送ったし、音聴いて本当にやりたいと思ってくれたら弾いてもらいたいなっていうスタンスは、絶対崩さなかった。 ●でも、だからこそこの音になったって気がします。 J:うん、と思う。ほんとにみんなでエンジョイできたし。すごい勉強にもなったな。スラッシュにしたって、世界を相手にしてきたギタリストがギター1本持って「Jのスタジオはここか?」って入ってくるんだよ(笑)。 ●それが基本なんですよね。 J:そうそう。スコットにしたって、世界の有名アーティストからの誘いを「つまんねえからやりたくねえ」って言ってウロウロしてたときに俺からのFAXが来て、「何かおもしろそうだから、音送ってくれよ」って。だから俺も「ほんとにやりたいって思ってくれてるんだったら、1回日本にきて一緒にプレイしないか」って言ったら、ほんとに日本まで来てさ。オーディションっていう形にカッコつけてるわけじゃないんだけど、そこで一緒にプレイして、「いい音だよ、やろうよ」って言ってくれたっていう(笑)。だから今回のことってね、よくロック雑誌に載ってる「メンバー募集」の世界版なのね。カメラマン募集とかもね。 ●「バンド組みませんか」って(笑)。 J:そう。”ドラマー募集、当方26歳ベーシスト“みたいにさ(笑)、そういうほんとに原点。そこに行かなきゃトレーニングにならなかっただろうなあと思うし、それはすごい勉強になった。 みんなやらないから こういうバカがいてもね(笑) |
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