-ソロ活動で、多くの施設を慰問されたんですよね。

 「2001年の初頭からボランティアで8000カ所回りました。そこには、傷ついた子どもたちが多くいて、僕自身が自分の弱さをさらけだすことで、子どもたちの扉も開くって気付いたんです。僕は兄貴に虐待されてきたと、弱虫だったんだと。歌い終わると、涙を流してくれてる。手を握ってくれて。それが僕にとっての癒やし、心のリハビリだったんです」

 -TOSHIさん自身の傷が癒やされた。

 「兄のトラウマもあったけど、父が公務員で地味な親で。それに反発したんですね。一獲千金だとか派手なことがしたいとか人気が欲しいとか。若くしてチヤホヤされる立場になってたからテングになっちゃった。でも8000カ所回るってことは、毎日約束を守って歌い続けるということ。地道にやっていくという、自分のセンターがしっかりできていく感覚がありました」

 -8年間でTOSHIさんが変わって、YOSHIKIさんへと気持ちが向いたんですね。

 「そうですね。パズルのピースがハマっていく感じでしたね」

 -X JAPANを脱退したのは、自身の限界だったんですか。

 「限界でした。ウソをついて歌うのはYOSHIKIもファンの方も裏切ることじゃないですか。自分がそこに気持ちが入らなくなったり、何か面倒くせえなとか思いながらTOSHIを演じても、YOSHIKIがもっと上を目指している中で自分はそこに思いがない。自分に対しても、違う、できないと」

 -積み重なってきたものなんですか。

 「そうでしょうね。いろんなものを得るし、失うけど、晴れ晴れしい気持ちは全くなかったですから。胸のつかえがどんどん重くなっていくような感覚でした。逆にいうとステージでそれを発散してたんでしょうね。だからこそリアルな叫びだったと思います。エネルギーを爆発させてたんです」

 -そうだったんですか。

 「僕は小さいころから腹にためるタイプで発散できない。3つ上の兄から虐待されて縮まっちゃう。怖くてけんかができなかった。これは僕の弱さなんです。そこでけんかができればよかったんですが、それをずっと離れて見てるから終わってないんですよ。子どものころからのものがたまりにたまってて、発散できる場がコンサートだった」

 -なるほど。

 「激しい曲で一心不乱になれることと、美しいバラードで抱きしめられるっていう感覚。両方できる音楽性を持っていたバンドでしたから。ミュージックセラピーだったんですね。だからロックだからとか、癒やし系とか関係なく、音楽って全部つながってるんじゃないかと」

 -3月のライブ、本当に楽しみです。

 「まだまだ恨みやつらみがいっぱいたまってますから、それをセラピーとして爆発させたいなと思ってます」

 -今後、活動は両方やっていくんですね。

 「そうですね。並行してやっていきます。X JAPANに負けないように、ソロ活動もやっていきます。新たなシフトチェンジ。今度は四駆だぞ、フル回転だぞみたいな気持ちです」
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