Cocco
97/3/01 17:52:13

本日、衝撃受ける。何年ぶりでしょう?1か月程前からずーっと気になっていた女性シンガーがいました。もう頭の中で彼女の歌がずっと鳴り続けている。「撃ちころされたいの?、、、、、」「灰になった私を抱きしめて........」なにげなくなんのまえぶれもなく、耳にしたその詩の断片が頭からはなれず、たった1度だけ聞いたその2、3曲の歌が僕の中でゴチャゴチャになり、なかばノイローゼぎみになっていました。もう会う人会う人に、そのうろ憶えの名前だかバンド名だかもわからない『コッコ』という音楽について尋ねまくりました。ある事情でしばらく外界との接触が不可能になっていた私が(これについては、また改めてお話しします。)約1か月ぶりに全ての記憶の断片を繋ぐことができました。

『Cocco』とかかれたCDには、1人の女の子がじっとこちらを見据えていました。やっとの思いで聞くことのできた、そのカウントダウンというmaxi single, 最初にかけた、時点では「そうそう!これこれ!これを探してたんだよ!」とハシャぐ事しばし、、、しかし2度3度と聞いて行くうちにやっとつながったはずの記憶の断片達が、たった1か月ほど前のま新しいはずの記憶が過去のもっとずっと古いそれ達(コドモのころや、もっと昔の物、培ってきた音楽の知識など)とあたりまえの様に交わって浸食し始めている事に恐怖をおぼえる。どういう事かっていうと、たとえば僕の中ではパンクやKISSやzeppelinなどという過去聞いてきたものっていうのはその時代、時代で聞いてきて、その記憶や知識っていうのはその当時自分に起こったことや思い出と一緒の戸棚に入っていて、事あるごとに出し入れされる音楽は、それとともにそのときの心象風景なんてものも一緒くっつけてくるわけですが、coccoは僕のその記憶の配列を無視して新しいところも古いところも関係なく、すりこんできて、あわせて、無いはずの記憶や見たことのあるはずもない景色までも、造り出そうとしているのです。自分にとってのいい音楽や好きな音楽との出会いっていうのは、理屈ではないけれど、その瞬間に自分の中に必然や運命って言ってもいいような物を作り出す自分では把握できないマニュアルらしきものが人それぞれの(価値や経験もあるかもしれない)中で、作用することが至極の悦びだと思うし、そういうパズルの最後の1個が埋る感じを得るために、僕はレコード買ったり音楽創ったり、するわけで、今回の出会いもそんなうちのひとつだと思っ2トいたのが、聞けば、聞くほど、恐怖をともなうのです。無いはずの記憶に涙してしまったり、女の子の生理すら感じてしまえるような気もするのです。もうトータルリコールの世界です。だっら聞かなきゃいいじゃん、、という声が聞こえてきそうですが、違うのです。犯されたいのです。まだCDをもらってきて1日目なのでこれから、どう化学変化するかわからないし、私自身、パニックなのです。

とりあえず、3/21maxi single「カウントダウン」/Cocco 発売です。 興味のある方は聞いてみてください。..................「今、女の子のパワーがスゴイ!」なんて言われる昨今、そんなセリフを鼻で笑っていた、松本.........これには、まいりました。

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